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今治タオルのルーツをたどる

2021.06.13

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今治タオルのルーツをたどる

こんにちは、FUJITAKA TOWEL社長の藤高 亮です。3人目の子供が生まれました(^^)今回は今治がタオル産地として栄えていった経緯について簡単に歴史を追っていきたいと思います。今治タオルは1894年に創始されたので2021年で128年目を迎えることになるのですが、それ以前から綿業が栄えていました。まずはそのあたりをご説明したいと思います。

今治地方の製織のルーツ(746年~)

東大寺正倉院の御物に“絁(あしぎぬ)”という絹織物の一種があり、そこに「伊予國越智郡石井郷/戸主葛木部龍(かつらぎべのりゅう)/調六丈(約17m80cm)/天平十八年(746年)九月」とある。伊予の國は今の愛媛県で越智郡は今の今治市あたりのことなので少なくとも1200年以上前から今治地方で織物が織られていたことになります。部龍(べのりゅう)さんという名前もカッコイイですね!

今治綿業のルーツ(1716年~)

さて、時代はだいぶ進み、1716年ごろに“綿替木綿製(わたがえもめんせい)“という豪商が原料綿と織機を農家に提供し、製品を買い取り、大阪等で売るという商売が始まりました。最盛期は天保年間(1831年~1845年)ごろで、年間30万反の白木綿を生産、出荷していたそうです。

伊予ネルの創始(1886年~)

白木綿が徐々に衰退していく様子を憂いていたのが矢野七三郎という方でした。そこで、当時最先端の技術を有していた紀州ネルを学びに和歌山へ赴き、独自の伊予ネルを発明しました。(綿)ネルとは綿織物を起毛した丈夫な織物のことで、紀州ネルは両面を起毛していたのに対し、伊予ネルは片面のみの起毛であったとされています。他にも、紀州ネルは後晒し、後染め(織物にしてから白くしたり染める)に対し、伊予ネルは先晒し、先染め(糸の段階で白くしたり染める)を特徴としており、現在の今治タオルの得意としている先晒し、先染めのルーツが垣間見えます。

明治19年(1886年)に、このネル技術を導入し興業舎を立ち上げます。これが今治の綿ネルの始まりとされています。それからわずか3年後、事業が順調に伸びているさなか、明治22年12月クリスマスイブの夜に強盗に入られ殺害されてしまいます。今でも、矢野七三郎は今治の繊維産業に貢献したことを称えた銅像が今治城内に建てられています。今でも・・・というのは、実は太平洋戦争中に初代の銅像は取り壊されて武器の材料として金属回収されたからです。現在の銅像は実は2代目となります。一度なくなっても今治の繊維産業の礎を築いた矢野七三郎は時代を超えて尊敬され続けているということなのでしょう。

明治44年(1911年)に初代の矢野七三郎像が地元有志によって建立されました。これは昭和10年に藤高の慰安会をしたときに記念に撮られた写真です。初代の像の写真が残っていたことにも驚きですが、この写真はどのようにして撮られたのかもまた疑問です・・・ドローンで撮ったみたいに高いところから撮られてる感じですけど、どうなんですかね?

 

下写真が現在の矢野七三郎像となります。微妙に服装や恰好が違います。ちなみに、台座は石だったので回収されず残されていたので、なんと2021年現在で築110年!

その後、柳瀬義富(矢野七三郎の伯父)が柳瀬工業舎として引継ぎ、丹下辰雄を支配人として、明治40年に株式会社に改組。丹下辰雄は“伊予織布界の恩人”として称えられています。ちなみに、この丹下辰雄さんという方は建築家の丹下健三さんの伯父にあたる方です。丹下健三さんといえば、東京都庁や広島平和記念館を設計された世界的な建築家ですが、今治市役所も設計されており、今治とも深い関係があります。

丹下健三さんホームページ-今治市庁舎・公会堂

さらに、ちなみに、NHKの大河、八重の桜で伊勢(横井)時雄という方が登場しますが、この方の義父が柳瀬義富となります。八重の桜は同志社を創立した新島襄の妻、八重が主人公のドラマですが、同志社の3代目総長が横井時雄となります。

今治タオルのルーツ(1894年~)

その後、伊予綿ネルは発展し続け、明治29年には阿部兄弟7名が阿部合名会社を設立しています。この兄弟のうちの一人である阿部平助が会社を興す前に泉州(大阪)でタオル製造を学び、今治で初めてタオル製造を開始しました。これが明治27年(1894年)のことで1894年が今治タオルの創始とされています。残念ながら、当時は綿ネルが主流で阿部合名会社としてはタオル製造は大正5年に廃止してしまうのですが、阿部平助は今治タオルの父として称えられています。

ひとまず、今治タオル以前の今治綿業について簡単に追ってみました。いろいろな方の努力や苦労あって今があることが伺えますね。先人に感謝しつつ、産地を守り続けていきたいと思います。