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タオルケットのルーツをたどる

2021.09.28

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タオルケットのルーツをたどる

こんにちは、FUJITAKA TOWEL社長の藤高 亮です。おいでやす小田に似ていると言われます・・・・・・誰がや!!
さて、今回の歴史シリーズはタオルケットはどのようにして世に出てきたのかをご説明いたします。

タオルケットはいつ生まれたの?

実は、タオルケットは今治発祥で和製英語になります。(タオル+ブランケットを合体させてタオルケット)では、いつ頃タオルケットは生まれたのか?実は正確にわかっておりません。『えひめのタオル85年史』(四国タオル工業組合(現今治タオル工業組合) 昭和45年)には、“一枚物のタオルケットの開発は、昭和30年代はじめである。その発案者と開発時期は不明である。おそらくは、思考を凝らした人々が幾人かはあったであろう”と書かれてあります。

 

藤高の歴史から見るタオルケット

タオルケットの発祥は諸説あるのですが、藤高もタオルケットは昭和30年代に主力商品として扱ってきた歴史があります。当時の記録によると、紡績会社と商社と組んでタオルケットを製造し商社から問屋へ卸すという流れで始まり、そこから直接問屋からの注文も受けるようになり爆発的な生産量に増加していったとあります。このタオルケットの記録的なヒットにより、昭和35年に初めて大阪の泉州産地の生産量を抜いて日本最大のタオル産地となりました。

『乱菊』昭和38年試作、39年発売 現在年代の特定できる最古のタオルケット

サイズ130cm×200cm   当時の価格で3000円(藤高100年記念室所蔵)

 

タオルケットの盛衰

タオルケットはこれまでにない全く新しい商品であると同時に、当時の生活習慣にもマッチしていて瞬く間に大量のタオルケットが市場を席捲しました。ピーク時の昭和55年ごろには870万枚を超えるタオルケットが出荷されています。当時の織機では1台8時間当たり10枚~13枚程度しか織れないので、驚異的な出荷枚数となります。昔を知る人によると、ケット全盛のときは毎日残業してケットを織り続けていたとのことです。

しかし、平成に入ると徐々に生産量が減っていき平成16年ごろには約20万枚と最盛期の40分の1まで減ってしまいます。これは、過剰供給による在庫過多と安価な海外製タオルケットが市場に流通したことや冷暖房の普及によって生活習慣が変わり寝具も様変わりしていったことが原因となっています。

 

藤高のタオルケットの現在

今治のタオルケット生産量は減りましたが、現在でも夏といえばタオルケットという方もいらっしゃるでしょう。藤高でもタオルケットは今でも作り続けております。FUJITAKA TOWEL GINZAでも2020年から新しいケットを2種類販売しております。

まるで1枚のテディベア『TEDDY  KET』

TEDDY KETは包み込まれるようなまるでぬいぐるみのような肌触りのケットです。

糸の中心が空洞になっている糸を使っていますので通気性、保温性が高く、夏でも冬でもお使いいただける非常に軽いケットになっております。

 

軽さを極めたタオルケット『WAFFLE KET』

もうひとつのWAFFLE KETは同じく中空の糸を使用しているのですが、パイルではなくハチの巣のような形で織りあげて糸の引っ掛かりがないよう仕上げています。

どちらもおススメですので是非一度お使いになっていただければ幸いです。

 

本社開発チーム考案『人をダメにするタオル毛布』

そして、開発チームのメンバーが自分たちのほしいものを作りたい!という思いでずっと寝ていられる『人をダメにするタオル毛布』を作成しました。クラウドファンディングサイトMakuake(マクアケ)にて数量限定で販売が開始されています。OEMで培ったノウハウを活かしつつも、一般販売ではチャレンジが難しかった挑戦的な仕様になっています。10月一杯販売しておりますのでよかったらこちらもご覧になってください。